八丈太鼓に寄せて

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八丈太鼓について少し書きたいと思います。

日本の民謡など、一般に知られた日本的リズム感とは随分違う演奏だった事に驚きました。
更には、芸能のあり方としても、非常に珍しく優れた物に思えたのです。

八丈太鼓との出会い

11月のコンサートに八丈太鼓をお招きした際、事前に色々と資料を漁りました。
日本の民謡には、あまり興味が持てないままでしたので殆ど無知の状態から始まりました。結果的に多くを学びました。

以前のあるイベントで八丈太鼓の皆さんとご一緒した際、、お客さんを巻き込んでのパフォーマンス、回し打ちと言うらしいのですが、それが、言葉の通じない人達との交流イベントにぴったりな気がして、とても魅力的に思えました。

今回、長山育生氏と言う同郷の友人が今は八丈島に暮らし、故奥山熊雄氏と言う八丈太鼓の伝説的な人物に師事していたと聞きました。その奥山熊雄氏が、東京で公演した際の映像もお借りして拝見。大変驚いたのと同時に「回し打ち」が、単にお客さんを招き入れる形式的なパフォーマンスでは無い事に気付きました。

八丈島とよそ者

歴史上の話は苦手なのですが、八丈島は江戸時代の流刑地として有名なところです。
話によると受刑者は政治犯が多く、階級的には武士などわりと身分の高い人が多かったと聞きました。

これからは想像です。

江戸時代の海路300キロはおそらく苦難の旅、無事到着したとしても、よそ者として暮らす事を思えば受刑者の不安は極まったかも知れません。
ところが、島に到着してみると案外そうでは無かったようなのです。

「沖で見たときゃ鬼島と見たが、来てみりゃ八丈は情け島」歌の文句にあるのですが、これが江戸時代の八丈太鼓、八丈島気質を端的に現しているのかも知れません。

八丈太鼓の由来

大きく2つ唱えられています。一つは流人であった武士達が、禁じられた帯刀に替わりバチを持ち武芸の修行として太鼓を打ち始め、それを島の人達に伝えたと言う説。

もう一つは、当時から養蚕、機織りの盛んな八丈島では、主に女性達によって黄八丈の生産が行われ、主に女性達の娯楽として発展した・・と言う説です。

個人的には2番目の説が、有力だと思いますが、1番目の説にも考察の価値があります。

太鼓を叩きながら歌う文句には、本土各地の民謡が多数取り込まれており、流人達が歌を伝えた様子が伺えます。武士であれ、なんであれ流人と島民の交流の跡と言えそうです。

奥山熊雄さんと言う人

お借りした舞台映像、youtubeにあった昔のラジオ番組音源、こちらは太鼓無し、歌のみもありました。
不思議に思ったのは、歌にせよ太鼓にせよ殆どアクセントが2拍目にあると言う事です。
日本の民謡を歌う場合、あるいは日本人がポップスを歌う場合、手拍子が頭拍に来る事が普通で、洋楽を演奏する場合、ちょっとした障害になることもあるのです。ところが奥山熊雄さんは、8ビートのスネアドラムよろしく2拍目にアクセントを置いて歌います。ROCKなんです。

ショメ節を例にとると、

おきで たときゃ にしまと たが・」「お でみた きゃおにし とみた ・」

前は一般的な手拍子の位置、後ろが奥山さんの手拍子です。勿論、太鼓もこの調子です。これは、通常の頭でリズムを取る方法よりずっと軽快で、推進力が生まれる手法です。
戦後、洋楽が押し寄せた日本で、例えばビートルズが熱狂的に受け入れられた要素の一つです。体が動き、浮き浮きしてしまう感じでしょうか。

※詳しい方に伺ったところ 能は2拍目にアクセントを置くそうです。

いずれにせよ、youtube等で見る限り、殆どの八丈太鼓、民謡継承者の皆さんは、ほぼ奥山さんと反対に叩いています。これが何を意味するのか非常に興味のわくところです。

 

長山くんの話

10年、奥山さんの下打ち(所謂伴奏)をしてきた長山くんから幾つか情報をもらいました。

幼少の頃から当時の老女達に可愛がられ太鼓や歌を覚えた。
奥山さんが正しく記憶したとすれば、江戸時代から裏拍アクセントが島の標準だった事になります。※(殆ど踏襲されていない可能性があり文化的に大きな損失になる危険性がある)

半紙を膝に挟み両脇の下に卵を挟んで落とさない様に叩くと習ったそうです。
それは、女性の所作を教え且つ、盛り上がっても柔和で居る事を教えているのではないか?

楽器(太鼓)を選ばなかった。

こう叩きたい、こんな音を出したいより、そこにある太鼓に寄り添う姿を思わせます。
付き合う相手を選ばず、相手の長所を見出し対応する姿勢に繋がります。

練習する姿は見なかったが、就寝前、仰向けになり太ももを叩いていたそうです。
自分の体が太鼓であるイメージと合わせ、自信が太鼓になりつつ、音を出さずとも響きを感じていたと思われます。

肩に担げるくらい小型軽量な太鼓を持っていたそうです。力まない柔和な性格を思わせます。

身内の不幸があった時も、太鼓を叩くと陽気になれる人だったそです。
気持ちの良い音のイメージを具現化し、自分の気持ちにフィードバックさせる事が出来ていたと思われます。

DVD奥山熊雄の世界から

映像から見えるのは、その陽気な人柄、次いで太鼓を叩く極めて女性的な仕草、その柔らかい流れから生まれるグルーブ、優しいタッチ、芸を見せようとせず、自ら楽しむ態度。
回し打ちの際、ステージ端から参加者を盛り上げる姿勢など、一歩退いて見守りながらも無意識に場を作る事が出来ていました。

江戸時代、奥山熊雄さんのような気質が八丈島に充満し文化を作っていたとすれば、よそ者である流人も、隔たり無く受け入れて巻き込んだとしても何の不思議もありません。

罪人として、忌み嫌われる覚悟をし、或いは理不尽な処罰に対する怒りに震え、望郷の思いなど深い傷心の中、仮に奥山さんが、どんな太鼓でも気持ちの良い音を出すように、その声を聴き、その人に合わせた対応が出来、自らが叩く太鼓で平安な心に導く。そんな八丈島があったと思わせる奥山熊雄の世界でした。

武術の修行としての八丈太鼓

もしあったとすれば、人前で披露する様な物ではなかったと推測出来ます。
修行を盗み見た島の人がそれを真似た・・ならあるかも知れません。

八丈太鼓のグルーブの一つとして「本ばたき」と言う物があります。
他の物より重たいグルーブで、水をかくオールや艪の力の入れ方に似たグルーブです。
私の知っている範囲だと70年代前半のイギリスのロックバンドやジャマイカのバンドに見られるタイプのグルーブです。船を漕ぐ文化がある上で共通しています。

オールを沢山水に沈めれば大きな力が必要になりますし、気合いが入り力強くなる程、重く遅くもなります。この溜まった感じが、気合いが入る!力強く勇ましい!=武士と受け止められた可能性もありますが、武術とは関係なさそうです。

八丈太鼓の神髄?
奥山熊雄さんにとって、八丈太鼓は「相手を思いやり、受け入れ、気持ち良くなって(鳴って)くれるまで辛抱強く叩く、そうすれば、応えてくれる。そこに喜びを見出す!」そういう心得だった。そう思えてなりません。奥山さんは無自覚に、でも確かに日本古来のROCKを演奏していました。八丈太鼓の心得とそれを支えた和製ROCKビート・・案外、よそ者の長山くん、今回の共演で多くを得たと話す柵木さん、八丈島の人達にその誇りを取り戻して頂く立役者になりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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