131のリハしました。

本番まで残すところあと1週間。今回は、参加人数も多いので、色々と不備が無いよう気を付けているつもりでも、なかなかそうは行きません。

それでも、こうやってリハに来てくれて、一緒に作り上げて行く仲間がいてくれる事に感謝するほかありません。

今回は、思った以上にアイヌに寄ったステージになりそうです。アイヌを学び、アイヌに学ぶ事が、自分にとって必要だと感じて作品作りを始めたわけですが、アイヌでありながらアイヌを学ぶ照代さんとの交流に、この時代のアイヌ、その現実の側面を見ながら様々な思いがこみ上げて来るわけです。今回、一緒にステージを作る人達は、私の学びのツアーバスに同乗してくれた仲間で、現代のアイヌの世界観に少しだとしても触れる事になります。アイヌを知らない自分達の中に、アイヌと同じように生きたかも知れない遙か昔の記憶が、僅かばかりでもあり、それが共振したら、それは素晴らしい事じゃないかと思うのです。

いずれにせよ、今回は、複雑な事情、様々な立場、解釈、少なからず誤解なども生まれるのかな・・と言う不安と背中合わせの企画です。でも、まあ、それをお恐れたら何も出来ないかな。と思う次第。

一緒にステージを作ってくれる皆さんに、何かしら個々、役に立つ物を持ち帰ってもらえたら、それだけでも企画した甲斐があるってもんだよな~。勿論、お客さんにとっても、そうであって欲しいわけですが・・・

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nepalっこやら・・

 

久々ネパールの若者達。平日は学校に行きバイト、土日は、勿論バイト。
日本での就職を目指しているけど、なかなか簡単には行かない様子。

バンドも皆の休みを合わせるのが大変。何年か日本に居て日本語を学んでも
日本人の知人は殆ど無し。大久保多国籍エリアでも他の国の人と出会うのも
学校かバイト先くらい・・何とか出来ないのかと思うので地味にイベントなど
やっている分けです。

 

 

 

131冬の音 コーラス初リハ

31日のコーラスリハ第一弾。

ご近所音楽教室の詩子先生がお仲間、芸大声楽科の大田さんを紹介してくれました。
んで、大田さんの紹介で、本日はお二人、栗田実幸さん 増田茜さんがリハに参加してくれました。平均年齢20未満!凄いのは、そこじゃないけどね・・
そして、ベテラン矢指まゆみさんは、ずっと前からのお付き合い。プロの歌のお姉さんです。
まあ、あっさりリハ終了。

時間差で登場、ミシェリンと絵里ちゃん、こちらはワイワイガヤガヤ楽しくリハ。
その後、ルンルアンへ。3月には再びオープンマイクを開催するべく打ち合わせ。

とりあえず、皆さんのご協力のお陰で、頭に描いた物が実現に近づく快感を覚えつつ
ギターをするかやら、本当にチェロを弾くか・・など考え中です。

 

第四弾 アイヌ・音楽その1

1月31日に控えたコンサートの為に書き始めたブログ第四弾です。今回は、少し音楽に寄せてみました。

アイヌの音楽と一言で言うのも乱暴ですが、大概のエスニック音楽が、その言語のイントネーションに由来するか大きな影響を受けながら発展した事を思うわけですが、アイヌのそれは、今ある音源から知る限り、言葉と相まってシンプル且つ美しくもあります。

昭和22年NHKが記録したダイレクトカットのレコード100枚が見つかった・・と言うドキュメンタリーがありますが、かしこまると節を付け祝詞の様に節を付けて語るアイヌについて触れています。http://www.dailymotion.com/video/x533f4u

即興ですから、楽譜を残す必要がありません。これは文字を持たない文化とどこか繋がりがあると思われます。日本の古い音楽、歌詠みと近いか同じ類いの物で、伴奏を伴わない即興歌のような物です。

以前blogで触れたかも知れませんが、楽譜は11世紀頃のイタリアの発明とされています。
中国では更に古い歴史がありそうですが・・

いずれにせよ、リズムや装飾音の付け方や音の揺らぎなど、微妙な違いが、民族、地域、或いは個人ごとに存在し、何かしら意味を持っています。

意味とは、概念的な物ではなく、文字どころか言葉で表現する事も困難で、やっかいな事に、揺らぎ続けます。言葉は、その意味の周辺を彷徨うだけで、決して意味の中心には届きません。まるで、楽譜がそうであるように。

音楽は基本的に、安定と不安定の組み合わせとも言えます。
言葉の意味が理解出来る世界では、言葉その物が安定と不安定を生み出してしまいます。

言葉の無い音楽的な要素が加わる事で、双方が矛盾を起こすことも少なくありません。
近代においては、むしろそう言ったケースの方が多いかも知れません。
安易な洋楽導入の害?なのかも・・・

アイヌの言葉の意味が分からなくてもは、言葉と節の生み出す独特な響きが、十分音楽に聞こえて興味深いものです。

言語・ 名・文字・声・音 アイヌ 

 

その昔、音楽的な興味からアイルランドを旅しました。

道路標識には、ゲール語の文字、その下に小さく英語表記・・
たまたま泊まったB&Bの主は、「妻はゲール語が話せるし子供達は学校で習っている。
私はゲール語を話せないから、妻と子供が内緒話を堂々としているんだ・・」
と冗談まじりに話していました。

支配しようとする側は、名前を奪い、それを取り戻す事が支配された側の誇りを取り戻す事になるのか・・かつて日本軍も海外で日本語を強要したよな・・そんな風に思いました。
でも国内でも、そうだった事に思いは至りませんでした。

アメリカと言う名前は、スペインだったか西洋の人の名前由来です。
西洋が新大陸と呼んだ場所は、そこに住む人にとって、全く新大陸ではないしアメリカと言う呼称も後付けに過ぎません。

北海道の地名、そもそも北海道と言う呼び名・・古くは蝦夷地ですが、いずれも日本人の呼び方、アイヌは「アイヌ・モシリ」「人間」の「静かなる大地」と呼んだそうです。

現北海道の地名の8割はアイヌ語に由来するそうですが、アイヌが文字を持たない為、
音に対して無理矢理、表意文字を当てた結果、本来の意味とは全く関係のない印象を作る事になったようです。アイヌの地名は、その土地の特徴を現す名前になっており、極めて有用性の高い情報を持っていたと考えられます。

例として、札幌(乾いた大きな川を意味するサッ・ポロ・ペツ)・稚内(冷たい飲み水の川を意味するヤム・ワッカ・ナイ)しかしまあ、全く違った印象になり、意味不明な名前になった事に疑いの余地はありません。

一部、アイヌ語の音ではなく、意味から名付けられた地名もあるようです。
大沼などは、大きいポロ&沼トの意味を漢字で表し、発音は全く別になったようです。

ひどい話・・と思うのですが・・

実際に明治政府は、アイヌの生きた土地を国有とし、狩猟権、独自の言語を奪ったわけです。
同化政策と呼ばれますが、地名のみならず、アイヌ達にも日本語の名前を強要します。

100年以上経過した今日、もはや、アイヌ語だけで生活出来る場所は、どこにも無いと思います。

何も知らなかった・アイヌのこと

今回のコンサートの為に、ある程度ですが、アイヌについて調べました。主には、youtube等からの音源、ドキュメンタリーフィルム、イザベラバードの本の解説・知里幸恵の遺稿などです。縄文・イヌイット・北米先住民・明治維新・ネットサーフィンのごとく、興味は連鎖し終わりは見えません。それ以外にも長いこと感心を寄せていた物とも随分繋がります。

子供の頃、家に鮭をくわえた小さな木彫りの熊がありました。
父か祖母か忘れましたが、アイヌと言う言葉を初めて聞いたのはその時かも知れません。

小学生だったか、知床旅情と言う歌が流行、歌詞の中にあるラウス・ピリカ・・と言う
言葉が、日本語に思えなかったのを覚えています。

まあ、実際、日本語では無かったわけですが、その際、ピリカは、アイヌの美しい娘の事だと
父から聞きました。

※調べるとこんな話も・・・

(歌を作った森繁久弥は2番の歌詞にある「ピリカ」(本人はアイヌメノコ=若い女性の意味のつもりで歌っていた)が羅臼地方で「ホッケの幼魚」の意味で使われることを知り、気にかかっていたという)

高校生の時、観光で白老を訪れ、アイヌの人達と初めて遭遇する事になりました。観光施設化していて、アイヌ達は、その民族衣装をまとっていたと思います。顔つきなど魅力的な風貌ではありましたが、その場は、陰気で寂しく、長居したくない空気だった印象があります。

帰りの青函連絡船、その甲板で木彫りの熊を掘る初老のアイヌと出会いました。
何を話したかは覚えていませんが、その手作業と横顔に見入っていた事を覚えています。

上京し、大久保辺りに根付いた頃、近所にあった寿司屋で働くアイヌの青年と親しくなりました。優しい性格と、潤んだ様な優しい目がとても印象的な人でしたが、ある日、常連客から、ひどく差別的な発言を受け、非常に悲しんでいる様子を目にしました。しばらく後、彼は店を辞めてしまい、二度と姿を見る事もありませんでした。その時に初めて、アイヌ差別が在ることを知りました。

今回のコンサートで、特に差別問題を取り上げるつもりはありませんが、アイヌを知る過程において避けては通れない問題である事もまた確かです。その辺りの情報は探す気さえあれば、ネット上にも多数あります。

では、何故アイヌなのか・・ですが、私、私達の社会が、とっくの昔に置き忘れた大切な物を、彼らはつい最近まで大切に守っていた、或いは今も守ろうとしている。そう感じる事によります。

私にとって、このコンサートは、アイヌを学ぶ、アイヌに学ぶ、物でもあります。是非、ご一緒にいかがですか?

 

 

 

1月31日祈りの音に向けて

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アイヌの声 学びの始まり 当日まで、コンサートに向けた想いなど、書いて行きます。

一人でも多くの方と出会えることを目指して。トンコリ1

1月31日 「祈りの音 冬の音」は、昨年4月から「兆しの音春の音」「昊の音夏の音」
東優香「愁いの音秋の音」八丈太鼓の長山育生・柵木冨美4回シリーズで開催している
コンサートイベントの最終回です。

春は、昨今の世、様々な出来事に少なからず違和感をお覚え、自分なりの価値観を見出す
人が増えて来ている予感を、夏は、祖先、或いは生まれた土地と人の結びつきについて、
秋は、コミュニティに新たに入ってくる「よそ者」との望ましい形の例としての八丈太鼓。

そして今回は、アイヌを取り上げる事にしました。

アイヌは、私達にとって極めて関係が深く、近くの存在でありながら、私自身にとっても、
詳しくは分かっていない存在でもありました。

アイヌは、わずか120年ほど前まで、現北海道に私達とは異なる独自の言語や文化を持って暮らしていた、かけがえの無い人々です。

ネイティブアメリカンと呼ばれる人達や、アイルランドのケルト人に惹かれた私が、
アイヌ文化に興味を持つに至るのは、当然の事ですが、政治的な問題なども含め、
デリケートな存在であり続けた事もまた確かです。

8年ほど前に参加したイベントで知り合った宇佐照代さんとは、お店が近所と言う事もあり、
時たまの交流は続き、大久保で開催するイベントにも、何度か参加して頂きました。

「自然と人」「所有の根拠」の再考を試みる今回の企画には、アイヌ、照代さんは、
ぴったりの存在でもあり、一年ほど前に声をかけさせて頂き、やっと実現です。