何も知らなかった・アイヌのこと

今回のコンサートの為に、ある程度ですが、アイヌについて調べました。主には、youtube等からの音源、ドキュメンタリーフィルム、イザベラバードの本の解説・知里幸恵の遺稿などです。縄文・イヌイット・北米先住民・明治維新・ネットサーフィンのごとく、興味は連鎖し終わりは見えません。それ以外にも長いこと感心を寄せていた物とも随分繋がります。

子供の頃、家に鮭をくわえた小さな木彫りの熊がありました。
父か祖母か忘れましたが、アイヌと言う言葉を初めて聞いたのはその時かも知れません。

小学生だったか、知床旅情と言う歌が流行、歌詞の中にあるラウス・ピリカ・・と言う
言葉が、日本語に思えなかったのを覚えています。

まあ、実際、日本語では無かったわけですが、その際、ピリカは、アイヌの美しい娘の事だと
父から聞きました。

※調べるとこんな話も・・・

(歌を作った森繁久弥は2番の歌詞にある「ピリカ」(本人はアイヌメノコ=若い女性の意味のつもりで歌っていた)が羅臼地方で「ホッケの幼魚」の意味で使われることを知り、気にかかっていたという)

高校生の時、観光で白老を訪れ、アイヌの人達と初めて遭遇する事になりました。観光施設化していて、アイヌ達は、その民族衣装をまとっていたと思います。顔つきなど魅力的な風貌ではありましたが、その場は、陰気で寂しく、長居したくない空気だった印象があります。

帰りの青函連絡船、その甲板で木彫りの熊を掘る初老のアイヌと出会いました。
何を話したかは覚えていませんが、その手作業と横顔に見入っていた事を覚えています。

上京し、大久保辺りに根付いた頃、近所にあった寿司屋で働くアイヌの青年と親しくなりました。優しい性格と、潤んだ様な優しい目がとても印象的な人でしたが、ある日、常連客から、ひどく差別的な発言を受け、非常に悲しんでいる様子を目にしました。しばらく後、彼は店を辞めてしまい、二度と姿を見る事もありませんでした。その時に初めて、アイヌ差別が在ることを知りました。

今回のコンサートで、特に差別問題を取り上げるつもりはありませんが、アイヌを知る過程において避けては通れない問題である事もまた確かです。その辺りの情報は探す気さえあれば、ネット上にも多数あります。

では、何故アイヌなのか・・ですが、私、私達の社会が、とっくの昔に置き忘れた大切な物を、彼らはつい最近まで大切に守っていた、或いは今も守ろうとしている。そう感じる事によります。

私にとって、このコンサートは、アイヌを学ぶ、アイヌに学ぶ、物でもあります。是非、ご一緒にいかがですか?

 

 

 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

w

%s と連携中