雨の日の来訪者

加奈崎芳太郎「古井戸」と言う70年代に活躍したグループのリーダー。
かれこれ40年のお付き合い。この人のお陰で視野も縁も少なからず広がった。
東京を去って20年、今は諏訪を拠点に精力的に活動している。
サポートも共演も、罵りあいも、絶交も経て(笑)こうして時空を越え?交流は続いている。
「あの頃」は、互いに存在し、会えば当時の思いや誤解が最適化され、互いの相変わらずに
安堵もし進化や退化を感じ取る。しかしまあ、まだ伝えきれない感謝も思いもあるわけだが・・

嬉しい事に最近は、名古屋に帰った森君と(当時のスタジオ常連)とバンドを結成、意欲的に活動している。

 

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827 稲生座「古澤&小二田」

高円寺に古くからリペアー屋さんがある。古澤さん自身もギタリスト。
ギタリストの気持ちも楽器の気持ちも良く分かる。

前から話は出つつやっと具体的なお話。8月27日月曜日20時から高円寺「稲生座」
二人でやります。稲生のエミさんとセッションもあり!月曜にした理由は、ライブをやりたがる人が少なく、お客さんが少なくても迷惑が最小限!

彼の店に出かけると、ギターの話・世間話・きりが無いし時にはセッションもする。
この楽しいギターライフ?若い人達にも若くない人達にも知って欲しい。

子供の頃、オモチャでも何でも、解体してみる癖・・は、二人とも共通している。違うのは、彼は元に戻せるが、私には上手く出来なかった・・ってことかな。そんな話をしながら、ノンビリしたライブをやってみようと思う。

 

 

ついていけない感・・

小さな畑を耕し、作物を売ることで成り立った生活は一変する。市場価格が下落、原因は供給過多。当然、収入は半減する。

セールスマンがやってくる。商品は、広い土地と最新の農機具。生き残りをかけ、機械化し効率的な量産をし、競争力を付ける応援したい、とそう言う。ローンの支払いが終われば、利益は増大する見込みだった。しかし、更に市場価格は下落、再び設備投資を迫られる。固定費の増大に伴い当然ハイリスクになる。

別のセールスマンは、このことを指摘ていた。彼は、他者の作物との差別化によっての競争力強化を提案する。所謂ブランド化、規模は変えず、商品に付加価値を付け、一般的な商品より高い単価を付ける作戦だ。専門家・権威・著名人のお墨付き・最近では、所謂サクラを使った口コミ。いずれも、ネット上での注目度を著しく上げる事が出来る。当然、支払額に相当する・・。結局、支払い能力・借り入れしてでもコストを払う覚悟を強いられる。

多くの場合、このセールスマンの企業が利を得る。・・が、それも長くは続かない。彼らもまた、競合し、サービス合戦を繰り返し消えて行くだろうから。

常に薄情で、目先しか考えない消費者だけが、農民より、セールスマンより少し長い間、生き延びる。この農民もセールスマンも・・

悲しい事に、この私も馬鹿な消費者の一人ではある。

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昨今、音楽活動も、プロモーションビデオを制作するのが、常識化してきているのか、
ビデオ制作サービスの会社も増えているようです。更には、youtubeなどのアクセス数を支払い額によって保証するサービス・・どう言う仕組みなんでしょうか?
もはやネット上に溢れる情報の中に埋もれない対策は必須らしく、その為にコストを払う事も常識化している様です。仮にコストを払いアクセスが増えたとしても回収の保証は無いので、どこか博打的にガックリきている人も居るだろう気もします。自分のスタジオ経営も音楽制作も、認知度を上げる為の努力があまりに不足し、競争に着いて行けない事に焦りを感じつつ、正直、強い嫌悪を感じます。

オリジナル曲のすすめ。

 

70年代フォークブーム、吉田拓郎や井上陽水など、ギターを持ちオリジナル曲を歌う人達に憧れ、フォークギターを買って、コードを見ながら歌った人達。まあ、私と近い世代も今や定年の世代。かつて憧れたマーティンやギブソンを購入したり、仕事じゃない話題を共有出来る仲間が集うフォーク居酒屋は、相変わらずの賑わい。そうは言っても当然、仕事帰りに立ち寄る事の出来る世代は、年ごとに若返り、歌う曲も、70年代から80年代に以降しているようです。

戦後日本の軽音楽は、ジャズからロカビリー・ビートルズなどに影響を受け所謂グループサウンズそしてやっと60年代後半にロック・フォークブーム。とは言ってもこの流れ、本場アメリカとのタイムラグは殆ど無かった事に驚かされます。ロック・フォークは、音楽的な教育が無くても出来る!と言う意味で庶民的。ロックは、ドラム・ベース・エレギなど楽器を持っているメンバーや演奏出来る場所も限られる。しかしフォークは、アコギ一本あればアパートでもOK!学生さんにも手が届く!3つか4つのコードを覚えれば大概の曲の伴奏は出来る事もあり大流行だったのでしょう。

60年代後半、学生運動真っ最中には、社会的なメッセージを持った歌、演歌師的な歌が流行したものの70年代初めには、私小説的な歌が多く歌われる様になり、演奏形態の違う流行歌の様になって行ったのかも知れません。ともあれ、音楽は、クラッシックなどの様に教育を受けた上で始める!では、無くなったのです。

特にフォークは、当時の若者の気分を等身大で代弁し、自ら曲を作るまでも無く、既存の曲を歌う事で共感・連帯を味わう事が出来たのだと思います。

さてさて同世代のフォークファンの皆さん。かつての曲を否定する気は毛頭ないのですが、
そろそろ冥土の土産?オリジナル曲を作ってみては、いかがでしょう?かつての曲の中にも、変わらない自分を見出せる事は理解出来ます・・・が、今のあなたを、自身の言葉で!

 

お手伝いします!!   まあ・・宣伝なのですが・・相談お待ちしています。