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studiomkashiko について

東京は新宿の隣、大久保駅徒歩30秒の音楽スタジオ「スタジオM」のオーナー小二田です。子供の頃少しだけやったピアノを含むと、50年、メインの楽器であるギターを始めてから、45年程、音楽に関わり続けています。このスタジオも30年以上細々とですが、続いています。バンドのリハから個人練習、一寸マニアックなレッスンまで、音楽を通して生まれる人の繋がりを大切にしております。どうぞお気軽にお立ちより下さい。

723日曜日18時から 大久保でライブやります。

ナマステギットガザールと言うネパールレストランでのライブです。ミュージックチャージは、カンパ制ですが、別途、ネパールフード+1ドリンクで1000円かかります。実質、これが、お店、会場使用料になる仕組み。カンパゼロだと、出演者ギャラもゼロ!!頼むぜ!!

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714「昊の音 夏の音」報告

7月14日に開催した「昊の音 夏の音」取りあえず無事終了。
なぜ取りあえずかと言うと、春に引き続き赤字だったからです。

大まかな内訳は、会場費6万円 チラシ製作費+印刷三万八千円・出演者・スタッフギャラ等、8×1万有料入場者48人×2500~2000円。全員2500円で計算しても12万円・・差し引き58000円の赤字。箏 内藤と私コニタのギャラは勿論、無し・・

これは愚痴でも嘆きでも無く事実。
実際、私以外のメンバーの力量を考えるに、余りにも安いギャラで、彼らとしては、厚意でやってくれている事に違いはないのですが、いつまで甘え続けるのか・・この責任は全て自分にあると考えています。

最も不出来なのは、やはり集客。単純にお客を呼ぶノウハウが無い、信頼が無い!に尽きると思います。

次回11月・・今度は、せめて赤字は避けたいところ。

音楽には、割と自信を持っていますが(それが間違いと言う声も聴こえそうではあるけど)
商業的なセンスは、ゼロに等しい事は、スタジオの経営状況からも明らかで、自覚もあります。

なんで、そうまでしてやるのか?不思議に思う人も居るのは、想像がつきます。
まあ、お金にならなくても、やる価値がある。と踏んでいるから・・なのですが、せめて、続けて行けるだけの
所得は、確保しておきたいところ。

1本番2

昊の音 夏の音 7月14日金曜日19時から

 

今週14日金曜日 19時から 「昊の音・夏の音」と言うコンサートをやります。
場所は、新大久保から徒歩5分程のルーテル教会の礼拝堂です。
特に宗教的なイベントではありません。勧誘?なんてことはありませんので、
ご心配なく・・普通にコンサートです。

箏・琵琶・笛と言った日本の古典的な楽器の音色、その物の魅力にフォーカスし、
あえて音楽の様式には拘らない作品を中心に作っています。

今回は、春の公演の反省を踏まえ、全体のストーリーを分かり易くする為に、
最小限の「言葉」を使う事にしました。あくまでも説明では無く、散文詩のような物です。

前半は、夏の始まり梅雨から、盛夏まで、想像力の象徴としての闇と、それを映し出す「蛍」
夏の象徴的な生き物としての「蝉」などを題材にしたもの。

後半は「夏の終わり」お盆、土地とそこに暮らす人との結び付きをテーマにお贈りします。

多くのストレスを抱えた日常を送る人達が、音楽にも、ガス抜き・別名・「癒し」を求めるわけですが、

かしこルーテル4月ストレスそのものの解消にはならず、昔、アメリカにおいて奴隷だった黒人たちが、休みを控えた土曜の夜にハジケル・・
これは、奴隷としての状況を受容しているからとも言え、ストレスの根源は消えないわけで、
エンターテイメントの本質には、パンとサーカス的な感触が未だにあるわけです。

今あるストレスから根本的に脱する意思があるとすれば、あえてガス抜きは無用になりそうなものです。
勿論、その結果、更に大きなストレスが生まれる可能性もあるので、多くの場合、現状を受け入れるのかも知れません。

「ああ楽しかった!明日からまた同じ日常、仕事を頑張ろう!」みたいな事をやる気は無い・・とでも言いましょうか。

一聴すると「癒し」に聴こえる、私が作る作品の動機には「癒し」は含まれていない。
と言う事を言っておきたいからです。

アイリッシュの物語

アイルランド音楽は好きである。原因は何か随分考えた。色んな理由があるのだが、
方法論的な部分からは説明出来ない部分のお話し。

漠然とした感覚から好きになり、音律、リズム、独特な装飾みたいな物の習得に努力し、
それを獲得できたとすると、なんだか全てが理解出来たような気分に陥ったりするのかも知れない。、
しかしながら、それは単なる装丁の習得に終わっている可能性もある。

本来、彼らの装丁は極めてシンプル、故に、更なる飾り付けを加える事も容易だ。
例えば、音律だけ捉えると、コード付けの可能性は幾らでもある事になる。
いたずらに面白さを追求すると、言葉に例えるなら語尾のイントネーションを変えてしまい、
本来の意図とは、別の表現になってしまう・・と言う話。

また「楽しい曲」の中身は、実は悲しい・・だったりする場合もある。
殆ど、表題音楽なので、そこには何かしら具体的な物語がある。
楽曲は、その物語を想起させる役割も持っているだろうし、実際、彼らが演奏する際、
その詩なり物語を噛みしめたり楽しんだりしているようにも思える。

民族音楽は、その物語を共有する人達の為に生き延びている。
それは歴史的な意味で、彼らだけのモノだったり人類共通のモノだったり、色々あるはずだ。
彼らの音楽から、学ぶ事は、子孫?に伝えるべき物語に価値を与え続けている事なんだと思う。

ふと、思うのである。この土地に暮らす者の末裔として、伝えるべき物語を、ちゃんと知っているだろうか・・いささか、寂しい話ではあるけど、最近のテーマではあるりさぱ前

Two distant islands meet in The Himalayas.

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日本の文化が失われつつあった時代に・なんとなく郷愁を覚える音楽が西洋にあったとすれば、アイルランド音楽だったかも知れません。

例えば「庭の千草」は有名ですが、明治時代に小学唱歌集に掲載されて依頼、今日まで人気のある曲です。もっとも当のアイルランドでは忘れられているかも知れませんが・・

「庭の千草」は、アイルランドの詩人・トマス・ムーアの詩「The Last Rose of Summer 」に日本語の詞を付けたものらしいですが、バラが白菊に変わりながらも「あはれ」の情と言いますか、その美意識は、日本とアイルランドに共通する点を見出す思いがあります。

更に言えば、自分も含め、多くの日本のミュージシャンは、アメリカ音楽の影響を受けたわけですが、ロック・カントリーミュージック・ジャズの発生には、アイリッシュ音楽の影響が極めて大きく、ロマ音楽と共に殆どのポピュラーミュージックの基礎になっている気もします。

今回ご紹介する、パット氏とオーイン氏の演奏は、リバーダンス等で有名になったエンターテイメント性の濃い音楽とは大分違います。 彼らが何を受け継ぎ大切にしてきたのか・時代に翻弄されながらも、守り続けて来た、彼らの美意識が折り込まれた音のように思えます。

今回、会場は、ネパール料理レストランです。アイルランドの伝統的な音楽・そして日本の伝統的な楽器、箏・更には、ヒマラヤの自然に育まれたネパールの音楽と食べ物も併せて楽しもう!と言う企画です。

イベントの最後には、合同セッションも企画しますので、是非、遊びに来て下さい。

6月5~9日・アイリッシュミュージック個人レッスン

http://www.bbird-music.com/patandeoghantour2017.html

パットとオーイン・二人の来日にあわせスタジオMで開催している個人レッスン・今年もあります。
単に演奏方法や楽曲・に限らず、アイルランドの音楽の心に触れる機会だと思います。
興味がある方・初めての方でも気軽にご参加下さい。
今回はオーイン氏の奥さん 瑠香さんの(コンサーティーナ)のレッスンもあり・申し込みはスタジオMでも受け付けています。

個人レッスン

【日   程】6月5日(月)~9日(金)の平日5日間
【時  間】12:00~17:00
【会   場】OKUBOスタジオM 東京都新宿区百人町1-21-17
JR総武線大久保駅より徒歩1分 / JR山手線新大久保駅から徒歩5分 地図
【講   師】パット・オコナー(フィドル) / オーイン・オサリヴァン(アコーディオン、フルートのいずれか) / 丸田 瑠香(コンサーティーナ)
【料   金】1時間6,000円(スタジオ利用料を含む)
【対   象】楽器別の個人レッスンです。上記のいずれかの楽器を演奏される方が対象です。

個人レッスンの詳細:
○1レッスン1時間を1枠とし、お一人さまにつき何枠でもお申し込みいただけます。複数枠お申し込みの場合は連続受講も可能です。
○受講費は当日講師にお支払いください。
○オーイン・オサリヴァン氏のボタンアコーディオンはC#Dのキーですが、これ以外のキーのアコーディオンでもご受講いただけます。

音・についての考察・その2・重力と慣性

音・についての考察・その2・重力と慣性

「よいしょ!」「わっしょい!」とか「えっほっ!」とか・掛け声は・重力と慣性の表現だ。
「よい・しょ」の「よい」は、重力のかかる状態「しょ」は・その反対。
「え・っ・ほ・っ」は「え」と「ほ」に重力がかかり「っ」は・その反対。
「えっほっ」は繰り返し行われる掛け声で、慣性的に、早くなったりする可能性もある。

これは、共同作業などにおいて有効な音楽の使われ方だろう。
労働歌やら・軍隊の行進やら・マスゲームやら・基本的に音楽が使われる。
本来・テンポのキープではなく・力の配分の表現だ。

「よいしょ」の例として、重い鍬で畑を耕す姿を想像してみよう。
「よい」の段階で・鍬は持ち上げられる。初動が一番重く力がいる。
その後・振り下ろすわけだが・重力にそった力の入れ方をすれば、より効率よく鍬は地面に突き刺さる。要するに・最も速度が乗ったヒットの瞬間と言う事になる。

呼吸を合わせる!初期的な音楽の実用化?は、重力と慣性の表現だったかも知れない。

黒人音楽的なビートは、駆け足のように重力とのバランスが連続する感性によって生まれる。
海洋民族的な力配分もまた船を漕ぐ連続性のある動作に似ている。

対して・鼓の「よ~っ!」は、鍬を振り上げるイメージに近いし、音が鳴った瞬間は、鍬が地面に刺さった瞬間に似ている。実際には、呼吸かも知れないが・どちらにしても・慣性に従って連続的に行う行為ではなく鍬の一撃に集中する感あはある。重い鍬なら「よ~っ」は、それに従う。これも、強制労働化したら、一定のテンポで軽く効率良く・となるのかも知れない。

洋の東西を問わず・音楽シーンの殆どは、この原初的な感性を忘れている。
息を吸わずに声を出す・鍬を振り上げずに振り下ろす・
著名な人でも・かなり・そうなっているが・皆・気にしない。