うめちゃんラジオ

www.facebook.com/AngInyongRadio/

セプコンでもお馴染み うめちゃん が、タガログ語・英語で、お届けしているネットラジオ。日本語DJコーナーも始まります。シンガーソングライター・バンドの皆さん。

うめちゃん企画に乗っかって、世界に紹介して貰いませんか!

広告

雨の日の来訪者

加奈崎芳太郎「古井戸」と言う70年代に活躍したグループのリーダー。
かれこれ40年のお付き合い。この人のお陰で視野も縁も少なからず広がった。
東京を去って20年、今は諏訪を拠点に精力的に活動している。
サポートも共演も、罵りあいも、絶交も経て(笑)こうして時空を越え?交流は続いている。
「あの頃」は、互いに存在し、会えば当時の思いや誤解が最適化され、互いの相変わらずに
安堵もし進化や退化を感じ取る。しかしまあ、まだ伝えきれない感謝も思いもあるわけだが・・

嬉しい事に最近は、名古屋に帰った森君と(当時のスタジオ常連)とバンドを結成、意欲的に活動している。

 

ついていけない感・・

小さな畑を耕し、作物を売ることで成り立った生活は一変する。市場価格が下落、原因は供給過多。当然、収入は半減する。

セールスマンがやってくる。商品は、広い土地と最新の農機具。生き残りをかけ、機械化し効率的な量産をし、競争力を付ける応援したい、とそう言う。ローンの支払いが終われば、利益は増大する見込みだった。しかし、更に市場価格は下落、再び設備投資を迫られる。固定費の増大に伴い当然ハイリスクになる。

別のセールスマンは、このことを指摘ていた。彼は、他者の作物との差別化によっての競争力強化を提案する。所謂ブランド化、規模は変えず、商品に付加価値を付け、一般的な商品より高い単価を付ける作戦だ。専門家・権威・著名人のお墨付き・最近では、所謂サクラを使った口コミ。いずれも、ネット上での注目度を著しく上げる事が出来る。当然、支払額に相当する・・。結局、支払い能力・借り入れしてでもコストを払う覚悟を強いられる。

多くの場合、このセールスマンの企業が利を得る。・・が、それも長くは続かない。彼らもまた、競合し、サービス合戦を繰り返し消えて行くだろうから。

常に薄情で、目先しか考えない消費者だけが、農民より、セールスマンより少し長い間、生き延びる。この農民もセールスマンも・・

悲しい事に、この私も馬鹿な消費者の一人ではある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨今、音楽活動も、プロモーションビデオを制作するのが、常識化してきているのか、
ビデオ制作サービスの会社も増えているようです。更には、youtubeなどのアクセス数を支払い額によって保証するサービス・・どう言う仕組みなんでしょうか?
もはやネット上に溢れる情報の中に埋もれない対策は必須らしく、その為にコストを払う事も常識化している様です。仮にコストを払いアクセスが増えたとしても回収の保証は無いので、どこか博打的にガックリきている人も居るだろう気もします。自分のスタジオ経営も音楽制作も、認知度を上げる為の努力があまりに不足し、競争に着いて行けない事に焦りを感じつつ、正直、強い嫌悪を感じます。

オリジナル曲のすすめ。

 

70年代フォークブーム、吉田拓郎や井上陽水など、ギターを持ちオリジナル曲を歌う人達に憧れ、フォークギターを買って、コードを見ながら歌った人達。まあ、私と近い世代も今や定年の世代。かつて憧れたマーティンやギブソンを購入したり、仕事じゃない話題を共有出来る仲間が集うフォーク居酒屋は、相変わらずの賑わい。そうは言っても当然、仕事帰りに立ち寄る事の出来る世代は、年ごとに若返り、歌う曲も、70年代から80年代に以降しているようです。

戦後日本の軽音楽は、ジャズからロカビリー・ビートルズなどに影響を受け所謂グループサウンズそしてやっと60年代後半にロック・フォークブーム。とは言ってもこの流れ、本場アメリカとのタイムラグは殆ど無かった事に驚かされます。ロック・フォークは、音楽的な教育が無くても出来る!と言う意味で庶民的。ロックは、ドラム・ベース・エレギなど楽器を持っているメンバーや演奏出来る場所も限られる。しかしフォークは、アコギ一本あればアパートでもOK!学生さんにも手が届く!3つか4つのコードを覚えれば大概の曲の伴奏は出来る事もあり大流行だったのでしょう。

60年代後半、学生運動真っ最中には、社会的なメッセージを持った歌、演歌師的な歌が流行したものの70年代初めには、私小説的な歌が多く歌われる様になり、演奏形態の違う流行歌の様になって行ったのかも知れません。ともあれ、音楽は、クラッシックなどの様に教育を受けた上で始める!では、無くなったのです。

特にフォークは、当時の若者の気分を等身大で代弁し、自ら曲を作るまでも無く、既存の曲を歌う事で共感・連帯を味わう事が出来たのだと思います。

さてさて同世代のフォークファンの皆さん。かつての曲を否定する気は毛頭ないのですが、
そろそろ冥土の土産?オリジナル曲を作ってみては、いかがでしょう?かつての曲の中にも、変わらない自分を見出せる事は理解出来ます・・・が、今のあなたを、自身の言葉で!

 

お手伝いします!!   まあ・・宣伝なのですが・・相談お待ちしています。

 

レコーディング・・など

 

 

<よねやまたかこ>のレコーディングでした。まあ常連さんと言うか仲間内です。
ゲストはオーボエの松谷みよ子さん。

立派な設備も機材も無いのですが、アーティストと相談しながらコツコツ作るスタイル。
本日は、ギター・仮歌・オーボエ・本番歌・仮MIXで、およそ3時間。予算は一万程です。

伝えたいのは何なのか?やりたい事は何なのか?探りながら作品作りをお手伝いします。
仮にも商品・・その為のクオリティーは勿論考えますが、それは使う機材だけじゃなく、
楽曲、演奏含め作品その物のクオリティー。大きなお世話も含め話し合いながら進めます。

スタジオのひととき・・

DSC04753

今、大久保に来ている外国人の中で最も多いのはベトナム人かネパール人・・たぶん。
日本に来れば稼げる・・そうだけど、その仕組みってこれで良いのか?
誰も、その辺りを口にしたがらない。なんか不愉快だ。

ネパールの人達は酒と音楽が大好きで優しい人が多い。
資源と言えば、人、昔から、今もだけど、兵隊の人材派遣が有名。
昔は日本人とも殺し合った。なんの恨みもなく金の為。そんなの楽しくはなさそうだ。
しかも当時、英国の若者一人の命の値段の数十分の一・・なのに彼らにはありがたい。良いのかその仕組み。

今は、日本の企業に勤めたいとか、稼いで帰りたいとか・・それなりに夢?を持ってやってくる。でも彼らが皆、地元に留まる人より幸福だとは限らない。

RhisiもPunも、ある意味、素朴な人。毎日長い時間、家族の為に働く。
本国より何倍も稼げたとしても、搾取搾取の後にやっと。
「今日は音楽が出来るね!」スタジオに顔を出すのを楽しみにしている。
子供の様な顔で見つめられると、複雑な気分になるけど、
ぼちぼち3人の作品作りを始めてます。

nepalっこやら・・

 

久々ネパールの若者達。平日は学校に行きバイト、土日は、勿論バイト。
日本での就職を目指しているけど、なかなか簡単には行かない様子。

バンドも皆の休みを合わせるのが大変。何年か日本に居て日本語を学んでも
日本人の知人は殆ど無し。大久保多国籍エリアでも他の国の人と出会うのも
学校かバイト先くらい・・何とか出来ないのかと思うので地味にイベントなど
やっている分けです。