雨の日の来訪者

加奈崎芳太郎「古井戸」と言う70年代に活躍したグループのリーダー。
かれこれ40年のお付き合い。この人のお陰で視野も縁も少なからず広がった。
東京を去って20年、今は諏訪を拠点に精力的に活動している。
サポートも共演も、罵りあいも、絶交も経て(笑)こうして時空を越え?交流は続いている。
「あの頃」は、互いに存在し、会えば当時の思いや誤解が最適化され、互いの相変わらずに
安堵もし進化や退化を感じ取る。しかしまあ、まだ伝えきれない感謝も思いもあるわけだが・・

嬉しい事に最近は、名古屋に帰った森君と(当時のスタジオ常連)とバンドを結成、意欲的に活動している。

 

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827 稲生座「古澤&小二田」

高円寺に古くからリペアー屋さんがある。古澤さん自身もギタリスト。
ギタリストの気持ちも楽器の気持ちも良く分かる。

前から話は出つつやっと具体的なお話。8月27日月曜日20時から高円寺「稲生座」
二人でやります。稲生のエミさんとセッションもあり!月曜にした理由は、ライブをやりたがる人が少なく、お客さんが少なくても迷惑が最小限!

彼の店に出かけると、ギターの話・世間話・きりが無いし時にはセッションもする。
この楽しいギターライフ?若い人達にも若くない人達にも知って欲しい。

子供の頃、オモチャでも何でも、解体してみる癖・・は、二人とも共通している。違うのは、彼は元に戻せるが、私には上手く出来なかった・・ってことかな。そんな話をしながら、ノンビリしたライブをやってみようと思う。

 

 

第四弾 アイヌ・音楽その1

1月31日に控えたコンサートの為に書き始めたブログ第四弾です。今回は、少し音楽に寄せてみました。

アイヌの音楽と一言で言うのも乱暴ですが、大概のエスニック音楽が、その言語のイントネーションに由来するか大きな影響を受けながら発展した事を思うわけですが、アイヌのそれは、今ある音源から知る限り、言葉と相まってシンプル且つ美しくもあります。

昭和22年NHKが記録したダイレクトカットのレコード100枚が見つかった・・と言うドキュメンタリーがありますが、かしこまると節を付け祝詞の様に節を付けて語るアイヌについて触れています。http://www.dailymotion.com/video/x533f4u

即興ですから、楽譜を残す必要がありません。これは文字を持たない文化とどこか繋がりがあると思われます。日本の古い音楽、歌詠みと近いか同じ類いの物で、伴奏を伴わない即興歌のような物です。

以前blogで触れたかも知れませんが、楽譜は11世紀頃のイタリアの発明とされています。
中国では更に古い歴史がありそうですが・・

いずれにせよ、リズムや装飾音の付け方や音の揺らぎなど、微妙な違いが、民族、地域、或いは個人ごとに存在し、何かしら意味を持っています。

意味とは、概念的な物ではなく、文字どころか言葉で表現する事も困難で、やっかいな事に、揺らぎ続けます。言葉は、その意味の周辺を彷徨うだけで、決して意味の中心には届きません。まるで、楽譜がそうであるように。

音楽は基本的に、安定と不安定の組み合わせとも言えます。
言葉の意味が理解出来る世界では、言葉その物が安定と不安定を生み出してしまいます。

言葉の無い音楽的な要素が加わる事で、双方が矛盾を起こすことも少なくありません。
近代においては、むしろそう言ったケースの方が多いかも知れません。
安易な洋楽導入の害?なのかも・・・

アイヌの言葉の意味が分からなくてもは、言葉と節の生み出す独特な響きが、十分音楽に聞こえて興味深いものです。

1月31日祈りの音に向けて

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アイヌの声 学びの始まり 当日まで、コンサートに向けた想いなど、書いて行きます。

一人でも多くの方と出会えることを目指して。トンコリ1

1月31日 「祈りの音 冬の音」は、昨年4月から「兆しの音春の音」「昊の音夏の音」
東優香「愁いの音秋の音」八丈太鼓の長山育生・柵木冨美4回シリーズで開催している
コンサートイベントの最終回です。

春は、昨今の世、様々な出来事に少なからず違和感をお覚え、自分なりの価値観を見出す
人が増えて来ている予感を、夏は、祖先、或いは生まれた土地と人の結びつきについて、
秋は、コミュニティに新たに入ってくる「よそ者」との望ましい形の例としての八丈太鼓。

そして今回は、アイヌを取り上げる事にしました。

アイヌは、私達にとって極めて関係が深く、近くの存在でありながら、私自身にとっても、
詳しくは分かっていない存在でもありました。

アイヌは、わずか120年ほど前まで、現北海道に私達とは異なる独自の言語や文化を持って暮らしていた、かけがえの無い人々です。

ネイティブアメリカンと呼ばれる人達や、アイルランドのケルト人に惹かれた私が、
アイヌ文化に興味を持つに至るのは、当然の事ですが、政治的な問題なども含め、
デリケートな存在であり続けた事もまた確かです。

8年ほど前に参加したイベントで知り合った宇佐照代さんとは、お店が近所と言う事もあり、
時たまの交流は続き、大久保で開催するイベントにも、何度か参加して頂きました。

「自然と人」「所有の根拠」の再考を試みる今回の企画には、アイヌ、照代さんは、
ぴったりの存在でもあり、一年ほど前に声をかけさせて頂き、やっと実現です。

 

うぽぽとムックリ体験

大久保でアイヌ音楽体験「うぽぽとムックリ」※「うぽぽ」アイヌ女性達の輪唱。「ムックリ」アイヌの口琴です。(写真左)
12月23日土曜日午後3時から料金はカンパ制、まあ無料も可、所得に合わせお願いします。ムックリは希望者に500円で販売します。

講師はアイヌ文化継承者であり歌い手、ムックリ、トンコリ奏者 次回コンサートのゲスト、宇佐照代さん。(写真右)お店の入り口です。
宇佐照代さんの経営するアイヌ料理のお店「ハルコロ」食べ物&持つで食べ物に困らないの意だとか・・はスタジオから徒歩5分ほどにあります。
美味しい北海道の食とBGMはアイヌ音楽が楽しめます。体験後、ご一緒にいかがですか?

最近漫画の世界で注目が高まっているらしいアイヌ文化。
世代によっては、知床旅情の歌詞にあるピリカ、ライブの店コタン、漫画のカムイ・・などある程度聴いたことのあるアイヌ語もあります。

昨今、テレビなどでやたらと外来語を使うので何で皆が知っているのか?とても不思議になる事も多い。例えば「コンセンサス」・・大まかに「全会一致」らしいのだが、そう言えば良いじゃん・・と思ったり「コンセントにプラグをさし込む」の略か?と言いたくなったり・・

まあ、実際にはニュアンスが日本語に無いので訳せない・・と言う声も聞こえて来そうだが、なんとかしろ!と思ったりもする。日本は、そうやって何でも取り込み、入れ替えてしまう文化があると言っても良い。

明治生まれの人でも、「リヤカー」や「ミシン」と言う言葉を使っていた。外来語の意識無く使って居た人も多い気がする。元々日本に無かった物は、無理矢理日本語で言う必要も無いのかも知れないが・・・例えばリヤカーだが、荷車はあった。リヤカーと大きく違うのはどこなのか?チューブ入りのタイヤや鉄製の骨組み? まあいいや・・

漢字の入って来た時代も、こんなんだったのか?と思ったりもする。
英語になって少し良かったと思うのが「トイレットペーパー」最近「便所紙」と言う言葉を聞かない。英語の方が少し臭わない感じがするもんね。

母親を呼ぶのに我が家は「かあちゃん」だった。最近は、そこいら中「ママ」だが、あまり好きにはなれない。こうやって日本語は侵略されて行く・・まあ、お母さんが日本語なのか知らないが・・

アイヌ語でお母さんは「ハポ」と言うらしい。なんか可愛らしい。アイヌの文化を残す意味でも、出来れば子供達に「ママ」と呼んで欲しくない。

2018年1月31日「祈りの音 冬の音」

「祈りの音 冬の音」日本福音ルーテル東京教会 礼拝堂

2018年 1月31日 水曜日 18時30分開場 19時開演

前売り2500円 当日3000円(全自由席)

チケット予約・お問い合わせ スタジオM 小二田 090-6471-5290
先着順、限定数になりますが、邦楽ジャーナル・購読者プレゼント(5枚)今田新聞店・購読者プレゼント(10枚)あり。

出演は、箏/内藤眞代・薩摩琵琶/塩高和之・篠笛龍笛/松尾慧・パーカッション/高村BUN太・ギター作曲/小二田茂幸に加えアイヌ文化継承者、宇佐照代さん、近松など古典語り文化・北米先住民の語りにも詳しい古屋和子さんをゲストにお迎えしてお贈りします。

キーワードは「自然と人」「音と言葉と文字」です。詳しくはブログに書いて行きたいと思います。

4回に渡り開催する今回のシリーズは「邦楽」と「洋楽」の違いやそれぞれの初期の姿などを思いつつ、学びつつ作品を作ってきました。基本は、私の考える「自然」であり「所有の物語」であり、人間が最初に聴いた「言葉」だったかも知れない「音楽」です。

西洋の発明?によって音楽は、ほぼ1オクターブ12音から作られ演奏されます。
楽譜と言う文字化?から取りこぼされた音の世界は、未だ世界中に生きていますし、その周波数が出せないピアノの演奏にさえ、実は大きく影響しています。
ドレミと命名され、編み出された西洋音楽の手法は、無数にある音楽の手法の中で、最も合理的だったかも知れませんが、手法の一つに過ぎない事もまた確かです。

文字を持たなかった先住民の一つ、アイヌの人達は歌うように語ります。
単語の一つ一つが魅力的な音、響きを持ちます。これもまた音楽の手法かも知れません。

                                               「Sirokanipe ranran pishikan  」

アイヌ神謡集の冒頭の1フレーズです。どんな意味で、どんな節なのか・・検索するか当日コンサートにおいで下されば分かりますよ~!

 

 

 

 

Two distant islands meet in The Himalayas.

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日本の文化が失われつつあった時代に・なんとなく郷愁を覚える音楽が西洋にあったとすれば、アイルランド音楽だったかも知れません。

例えば「庭の千草」は有名ですが、明治時代に小学唱歌集に掲載されて依頼、今日まで人気のある曲です。もっとも当のアイルランドでは忘れられているかも知れませんが・・

「庭の千草」は、アイルランドの詩人・トマス・ムーアの詩「The Last Rose of Summer 」に日本語の詞を付けたものらしいですが、バラが白菊に変わりながらも「あはれ」の情と言いますか、その美意識は、日本とアイルランドに共通する点を見出す思いがあります。

更に言えば、自分も含め、多くの日本のミュージシャンは、アメリカ音楽の影響を受けたわけですが、ロック・カントリーミュージック・ジャズの発生には、アイリッシュ音楽の影響が極めて大きく、ロマ音楽と共に殆どのポピュラーミュージックの基礎になっている気もします。

今回ご紹介する、パット氏とオーイン氏の演奏は、リバーダンス等で有名になったエンターテイメント性の濃い音楽とは大分違います。 彼らが何を受け継ぎ大切にしてきたのか・時代に翻弄されながらも、守り続けて来た、彼らの美意識が折り込まれた音のように思えます。

今回、会場は、ネパール料理レストランです。アイルランドの伝統的な音楽・そして日本の伝統的な楽器、箏・更には、ヒマラヤの自然に育まれたネパールの音楽と食べ物も併せて楽しもう!と言う企画です。

イベントの最後には、合同セッションも企画しますので、是非、遊びに来て下さい。