うぽぽとムックリ体験

大久保でアイヌ音楽体験「うぽぽとムックリ」※「うぽぽ」アイヌ女性達の輪唱。「ムックリ」アイヌの口琴です。(写真左)
12月23日土曜日午後3時から料金はカンパ制、まあ無料も可、所得に合わせお願いします。ムックリは希望者に500円で販売します。

講師はアイヌ文化継承者であり歌い手、ムックリ、トンコリ奏者 次回コンサートのゲスト、宇佐照代さん。(写真右)お店の入り口です。
宇佐照代さんの経営するアイヌ料理のお店「ハルコロ」食べ物&持つで食べ物に困らないの意だとか・・はスタジオから徒歩5分ほどにあります。
美味しい北海道の食とBGMはアイヌ音楽が楽しめます。体験後、ご一緒にいかがですか?

最近漫画の世界で注目が高まっているらしいアイヌ文化。
世代によっては、知床旅情の歌詞にあるピリカ、ライブの店コタン、漫画のカムイ・・などある程度聴いたことのあるアイヌ語もあります。

昨今、テレビなどでやたらと外来語を使うので何で皆が知っているのか?とても不思議になる事も多い。例えば「コンセンサス」・・大まかに「全会一致」らしいのだが、そう言えば良いじゃん・・と思ったり「コンセントにプラグをさし込む」の略か?と言いたくなったり・・

まあ、実際にはニュアンスが日本語に無いので訳せない・・と言う声も聞こえて来そうだが、なんとかしろ!と思ったりもする。日本は、そうやって何でも取り込み、入れ替えてしまう文化があると言っても良い。

明治生まれの人でも、「リヤカー」や「ミシン」と言う言葉を使っていた。外来語の意識無く使って居た人も多い気がする。元々日本に無かった物は、無理矢理日本語で言う必要も無いのかも知れないが・・・例えばリヤカーだが、荷車はあった。リヤカーと大きく違うのはどこなのか?チューブ入りのタイヤや鉄製の骨組み? まあいいや・・

漢字の入って来た時代も、こんなんだったのか?と思ったりもする。
英語になって少し良かったと思うのが「トイレットペーパー」最近「便所紙」と言う言葉を聞かない。英語の方が少し臭わない感じがするもんね。

母親を呼ぶのに我が家は「かあちゃん」だった。最近は、そこいら中「ママ」だが、あまり好きにはなれない。こうやって日本語は侵略されて行く・・まあ、お母さんが日本語なのか知らないが・・

アイヌ語でお母さんは「ハポ」と言うらしい。なんか可愛らしい。アイヌの文化を残す意味でも、出来れば子供達に「ママ」と呼んで欲しくない。

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2018年1月31日「祈りの音 冬の音」

「祈りの音 冬の音」日本福音ルーテル東京教会 礼拝堂

2018年 1月31日 水曜日 18時30分開場 19時開演

前売り2500円 当日3000円(全自由席)

チケット予約・お問い合わせ スタジオM 小二田 090-6471-5290
先着順、限定数になりますが、邦楽ジャーナル・購読者プレゼント(5枚)今田新聞店・購読者プレゼント(10枚)あり。

出演は、箏/内藤眞代・薩摩琵琶/塩高和之・篠笛龍笛/松尾慧・パーカッション/高村BUN太・ギター作曲/小二田茂幸に加えアイヌ文化継承者、宇佐照代さん、近松など古典語り文化・北米先住民の語りにも詳しい古屋和子さんをゲストにお迎えしてお贈りします。

キーワードは「自然と人」「音と言葉と文字」です。詳しくはブログに書いて行きたいと思います。

4回に渡り開催する今回のシリーズは「邦楽」と「洋楽」の違いやそれぞれの初期の姿などを思いつつ、学びつつ作品を作ってきました。基本は、私の考える「自然」であり「所有の物語」であり、人間が最初に聴いた「言葉」だったかも知れない「音楽」です。

西洋の発明?によって音楽は、ほぼ1オクターブ12音から作られ演奏されます。
楽譜と言う文字化?から取りこぼされた音の世界は、未だ世界中に生きていますし、その周波数が出せないピアノの演奏にさえ、実は大きく影響しています。
ドレミと命名され、編み出された西洋音楽の手法は、無数にある音楽の手法の中で、最も合理的だったかも知れませんが、手法の一つに過ぎない事もまた確かです。

文字を持たなかった先住民の一つ、アイヌの人達は歌うように語ります。
単語の一つ一つが魅力的な音、響きを持ちます。これもまた音楽の手法かも知れません。

                                               「Sirokanipe ranran pishikan  」

アイヌ神謡集の冒頭の1フレーズです。どんな意味で、どんな節なのか・・検索するか当日コンサートにおいで下されば分かりますよ~!

 

 

 

 

Two distant islands meet in The Himalayas.

Ireland0519-1

日本の文化が失われつつあった時代に・なんとなく郷愁を覚える音楽が西洋にあったとすれば、アイルランド音楽だったかも知れません。

例えば「庭の千草」は有名ですが、明治時代に小学唱歌集に掲載されて依頼、今日まで人気のある曲です。もっとも当のアイルランドでは忘れられているかも知れませんが・・

「庭の千草」は、アイルランドの詩人・トマス・ムーアの詩「The Last Rose of Summer 」に日本語の詞を付けたものらしいですが、バラが白菊に変わりながらも「あはれ」の情と言いますか、その美意識は、日本とアイルランドに共通する点を見出す思いがあります。

更に言えば、自分も含め、多くの日本のミュージシャンは、アメリカ音楽の影響を受けたわけですが、ロック・カントリーミュージック・ジャズの発生には、アイリッシュ音楽の影響が極めて大きく、ロマ音楽と共に殆どのポピュラーミュージックの基礎になっている気もします。

今回ご紹介する、パット氏とオーイン氏の演奏は、リバーダンス等で有名になったエンターテイメント性の濃い音楽とは大分違います。 彼らが何を受け継ぎ大切にしてきたのか・時代に翻弄されながらも、守り続けて来た、彼らの美意識が折り込まれた音のように思えます。

今回、会場は、ネパール料理レストランです。アイルランドの伝統的な音楽・そして日本の伝統的な楽器、箏・更には、ヒマラヤの自然に育まれたネパールの音楽と食べ物も併せて楽しもう!と言う企画です。

イベントの最後には、合同セッションも企画しますので、是非、遊びに来て下さい。

6月5~9日・アイリッシュミュージック個人レッスン

http://www.bbird-music.com/patandeoghantour2017.html

パットとオーイン・二人の来日にあわせスタジオMで開催している個人レッスン・今年もあります。
単に演奏方法や楽曲・に限らず、アイルランドの音楽の心に触れる機会だと思います。
興味がある方・初めての方でも気軽にご参加下さい。
今回はオーイン氏の奥さん 瑠香さんの(コンサーティーナ)のレッスンもあり・申し込みはスタジオMでも受け付けています。

個人レッスン

【日   程】6月5日(月)~9日(金)の平日5日間
【時  間】12:00~17:00
【会   場】OKUBOスタジオM 東京都新宿区百人町1-21-17
JR総武線大久保駅より徒歩1分 / JR山手線新大久保駅から徒歩5分 地図
【講   師】パット・オコナー(フィドル) / オーイン・オサリヴァン(アコーディオン、フルートのいずれか) / 丸田 瑠香(コンサーティーナ)
【料   金】1時間6,000円(スタジオ利用料を含む)
【対   象】楽器別の個人レッスンです。上記のいずれかの楽器を演奏される方が対象です。

個人レッスンの詳細:
○1レッスン1時間を1枠とし、お一人さまにつき何枠でもお申し込みいただけます。複数枠お申し込みの場合は連続受講も可能です。
○受講費は当日講師にお支払いください。
○オーイン・オサリヴァン氏のボタンアコーディオンはC#Dのキーですが、これ以外のキーのアコーディオンでもご受講いただけます。

音・についての考察・その2・重力と慣性

音・についての考察・その2・重力と慣性

「よいしょ!」「わっしょい!」とか「えっほっ!」とか・掛け声は・重力と慣性の表現だ。
「よい・しょ」の「よい」は、重力のかかる状態「しょ」は・その反対。
「え・っ・ほ・っ」は「え」と「ほ」に重力がかかり「っ」は・その反対。
「えっほっ」は繰り返し行われる掛け声で、慣性的に、早くなったりする可能性もある。

これは、共同作業などにおいて有効な音楽の使われ方だろう。
労働歌やら・軍隊の行進やら・マスゲームやら・基本的に音楽が使われる。
本来・テンポのキープではなく・力の配分の表現だ。

「よいしょ」の例として、重い鍬で畑を耕す姿を想像してみよう。
「よい」の段階で・鍬は持ち上げられる。初動が一番重く力がいる。
その後・振り下ろすわけだが・重力にそった力の入れ方をすれば、より効率よく鍬は地面に突き刺さる。要するに・最も速度が乗ったヒットの瞬間と言う事になる。

呼吸を合わせる!初期的な音楽の実用化?は、重力と慣性の表現だったかも知れない。

黒人音楽的なビートは、駆け足のように重力とのバランスが連続する感性によって生まれる。
海洋民族的な力配分もまた船を漕ぐ連続性のある動作に似ている。

対して・鼓の「よ~っ!」は、鍬を振り上げるイメージに近いし、音が鳴った瞬間は、鍬が地面に刺さった瞬間に似ている。実際には、呼吸かも知れないが・どちらにしても・慣性に従って連続的に行う行為ではなく鍬の一撃に集中する感あはある。重い鍬なら「よ~っ」は、それに従う。これも、強制労働化したら、一定のテンポで軽く効率良く・となるのかも知れない。

洋の東西を問わず・音楽シーンの殆どは、この原初的な感性を忘れている。
息を吸わずに声を出す・鍬を振り上げずに振り下ろす・
著名な人でも・かなり・そうなっているが・皆・気にしない。

音・についての考察・その1・見えないモノ

特に「音」と名付けなくても認識される・・動物も音に反応するわけだし。
「音」が何かの気配を示す事も、出現する理由も、色々と想像を巡らせ・実証してきた。

そのうち、自らが「音」を出したり・利用したり。その一つが音楽と呼ばれるものになった。
大きな音を出したら周囲にあるモノが共振するとか、反響するとか、目に見えない特別な物を感じたかも知れない。やまびこ・とか。

そのうち、自分たちに見えないけど存在するであろう何か・に、気付いてもらうと思ったかも知れない。その為の大きな音・・遠くまで届きそうな音・周囲の空気を震わせる大きな太鼓の音とか、けたたましい笛の音とか・・

それは供物のようなモノで、儀式が終われば皆で分け喰う。まあ音だから食えないが・・その音を出した本体、楽器を持ち帰えられ、好き好きに鳴らして楽しんだかも知れない。

そうなると今度は、目に見えないモノが相手ではない。身近な仲間達が楽しめるモノなら何でも良い。忘れられているが・見えないモノからのお裾分けだ。

民族・地域によって、見えない存在は随分と遠くにいるか・または、耳が遠いか・・
そう思った人達は、爆音を好んだのかも知れない。

寄り添う

※facebookに書いた物の転用です。

一般的に音楽を聴くのって、演奏があり、楽曲があり、和声とが時間と言うかリズムや強弱があるわけですが、単純に「楽器の音」について書きます。

エレキギターの歪んだ爆音と、暴走族の排気音は、似た心理に寄り添っている気がします。
フラストレーションの発散であり、更にそれを増幅する効果をもたらします。

遠慮勝ちな人が、爆音のエレキギターを弾いても、暴力的なワイルドな音にはなり難いし、
いつもイライラしている人が、ウクレレを弾いても、楽しい気分にはなり難いでしょう。

当然、反対の事も言えます。引っ込み思案の人が、エレキギターのワイルドな音を出す様になると
その人の中に、大胆な心が生まれますし、暴力的な性格のひとが、ウクレレの小さな音を綺麗に奏でる頃には、優しさが浮上することでしょう。

私が思うに、演奏の最初は、楽曲の練習以前に、その楽器の最も得意とする音に
寄り添う事を覚える事です。

それより先に学ぶことがあるとすれば、ドアを閉める音や、歩く音に無頓着でいない事です。

楽器を選ぶ時、すでに、その楽器が自分の心に寄り添う可能性を感じていますし、演奏したい楽曲を選んだり作ったりするのもまた、自分の心に寄り添うものを求めた結果なのかも知れません。